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カーター元米国大統領への追悼文

2025年1月20日

地球環境行動会議
会長 山口 俊一

ジミー・カーター元米国大統領が地球環境問題に果たした
知られざる偉大な貢献について

米国第39代大統領ジミー・カーター氏が2024年12月29日にご逝去されました。享年100歳でした。ここに衷心から哀悼の意をささげます。

カーター氏は長年にわたるアラブ諸国とイスラエルとの紛争を終わらせることに尽力され、2002年ノーベル平和賞を受賞、大統領職を辞した後も平和外交を積極的に推進するなど、国際的に偉大な足跡を残されました。しかしながら、カーター氏が地球環境問題に果たされた貢献についてはあまり報道もされず、カーター氏を1991年にGEA海外顧問としてお迎えし、2023年9月にはジョージア州プレーンズにある私邸で病床にあるカーター氏に、山口会長からお見舞いを兼ねて賢人会議で果たされた貢献についてあらためて感謝状を送らせていただくなど、34年間も敬意を表してきた地球環境行動会議(GEA)としては極めて残念に思います。

ここであらためてカーター氏が果たされた知られざる地球環境問題への偉大なる貢献についてご紹介させていただきます。ご承知の通り今日の地球環境問題への国際協力がスタートした原動力となったのは、1992年6月3日から14日にかけてブラジル・リオデジャネイロで開催された「環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット/ UNCED)」でした。世界172か国(ほぼ全ての国連加盟国)の代表が参加し、NGOの代表約400人等、のべ4万人を超える史上初めての地球環境国際会議でした。しかしながら、その前年、1991年中にUNCED開催に向けて先進国と途上国間で何度か準備会合が開かれましたが、地球環境問題解決に必要な資金手当て問題で、先進国側と途上国側の間で激しい衝突が繰り返されました。先進国が途上国も応分に負担すべきだと迫ったからです。これに対して途上国側は猛反発、先進国は経済発展を優先して石油や石炭を膨大に浪費、地球環境汚染を引き起こしている。先進国側が環境保全に要する経費については全て責任をもつのは当然だ、と一歩も譲りませんでした。

このままではリオサミットの開催など実現しない危機的状況となり、UNCEDのモーリス・ストロング事務局長がその打開を図るべく1991年某月のある日、密かに訪日し竹下登元総理私邸を訪ね、事態の収拾を図る協力を求めました。G7トロントサミットにおいて日本国首相だった竹下登先生は次からのG7サミットには主要議題に地球環境問題を加えるべきだと提案、G7首脳から賛同を得る有意義な働きをしていました。当時、カナダの石油大臣だったモーリス・ストロングは深く感銘を受け、リオサミットを誰よりも喜んでいる人物のはずと竹下登先生を信頼していたからです。

竹下登先生は要請を快諾し、直ちに米国のカーター元大統領に相談、結果、カーター氏は大統領時代に培った豊富な人脈に働きかけ、各国大統領や首相経験者はじめ世界銀行頭取等、国際世論に大きな影響力を有する人々に呼び掛け、「地球環境賢人会議」を1992年4月、東京で開催いたしました。3日間議論を尽くした賢人会議の成果である「東京宣言」は世界銀行、国連開発計画(UNDP)、国連環境計画(UNEP)によって発足した地球環境問題解決に必要な資金を多国間資金として無償で提供する「地球環境ファシリティ(GEF)」を生物多様性条約及び気候変動枠組条約を実行するための資金メカニズムとして機能させる内容でした。リオサミットの場で、竹下登先生自ら発表され、先進国、途上国等、全てのサミット参加者から大きな拍手と歓声が挙がるほど高く評価されました。「地球環境賢人会議」はカーター氏の多大な貢献なくしては実現しなかった国際会議であり、その成果である「東京宣言」がなかったらリオサミットの成功もなかったのです。


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